歌う ´◇`)/ O✖△◎!  Aniのあれこれ言いたい放題!
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Ani huazhong

Author:Ani huazhong
                            
Ani(アニ)と申します m( )m

早期退職後、軽貨物配送業を2013年1月に開業しました。

屋号:
Ani Express
(アーニー・エキスプレス)

たまに歌います(^0^)

どうぞ よろしく(^-^)

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3週前(10/5)の当ブログで取り上げた香港での民主化デモ。

さすがにそろそろ収束するだろうと思っていましたが、あれから3週間過ぎても政府vs学生の対立は続いています。

どうしたんだ香港人、Aniが知っている香港人はもっと「したたか」で、「道理」よりも「実利」をとるというか、プライド(彼らの言う「面子(メンツ)」)にこだわって「損」をするより、プライドを捨てても「得」をとるのが彼らの「信条」だったはずなのに。

先週半ばに正式な政府と学生代表の話し合いが行われましたが、全くの平行線で終わりました。

そもそもこの問題(香港トップの行政長官選挙に中国政府が認めた候補者しか立候補できない制度の制定に学生達が反発)、始まった時から学生たちの意向が取り入れられるのはかなり厳しいなと、Aniは感じていました。

確かに2003年の香港基本法改正に反対したデモや、去年の「愛国教育」強制に反対したデモは最終的に市民側の意向が受け入れられたので、その「成功体験」から学生・市民側は最初から強気にでたのかもしれません。

ただ今回はこれまでの問題とは訳が違います。

自分たちの意向に従わない香港トップを中国政府が認めるはずはありませんし、そもそも中国政府が全人代での決定を撤回することは100%ありえません。
そんなことをしたら、中国国内に対してまったく示しが着きませんから。

みんなそのことはわかっていると思うのだが、香港人。

学生が正義感に燃え、血気盛んに運動することはどこの国でもいつの時代でもあったことです。
その結果はどうだったか、時には主張が受け入れられ、でも大抵は「力づく」で鎮圧されました。

先程Aniの知っている香港人のイメージを書きましたが、その彼らであれば、学生たちの憤りをなだめる「大人」が市民の側から現れて、学生たちが傷つかないように事を収めるんじゃないかと、Aniはなんとなく予想していたのですが。

しかしそのような「大人」は現れず、学生たち、Aniの予想以上に頑張っています。引くに引けなくなった、とも言えるかもしれません。

学生達を突き動かしているのは香港への「愛国心?」なのか??

いや、そうではないと思います。

中国政府に言わせれば、そもそも植民地時代は選挙権すらなかったのだから、選挙を認めるだけでも有り難く思え!ということなのでしょうが、やっぱり中国政府の息がかかった者しか立候補できない制度は、どう考えたって「民主主義」じゃない、そのことを「香港人」のプライドとして主張している気がします。

これから社会に出る学生たちの世代は、もうその前の世代のように自らの「実力」で自分自身の未来を切り開くことは、恐らく難しいでしょう。

今後、「大陸=中国」依存の香港経済下では、「大陸の論理」を受け入れられる者しか成功できないと思います。
それは個人の能力より、不条理なコネや賄賂をうまく使いこなせる狡猾な者しか出世できない世界を意味します。
デモに参加している学生たちは、そのことに気づいているんでしょう。

この騒動、残念ながら中国政府のよる「力づく」の決着で幕を閉じる気がします。

そして学生達若者は、そんな香港に絶望して、多くが香港を離れる、そんな気がします。

ただし、そんな彼らも再び香港に戻るかもしれません。

なぜなら、今の中国政府の体制、本当にこの先ずっと続くのでしょうか?

どうもAniには、いつまでもこの体制が維持できるとは思えないのですが。


香港の国旗?と返還記念のオブジェ。
中国人観光客は必ず訪れて記念撮影をしますが、それ以外の観光客はその存在すら知らないという不思議な場所。
2014/10/26 18:59 時事 TB(0) CM(0)
ガーディアンズ
もともとハリウッド制作のSF・アクション系映画には、あまり興味を惹かれないAniでしたが、この映画はテレビCMで懐かしのアメリカン・ポップがバックに流れていたので、なんとなく気になっていました。

その後いくつかの映画評を目にして、この映画がアメリカンコミックの実写版であること、全米ではそこそこヒットしたこと、あと準主人公の「アライグマ」が妙に気になって、なんとなくバカバカしそうな映画の匂いがしたので、公開が終わってしまう前に観ておくことにしました。(日本でのヒットは厳しいかな?そんな気がしたので)
アライグマ

どうもハリウッド系は世界レベルのヒットを期待されているせいか、Aniにはどれも万人向けに感じられてイマイチ物足りない。で、「万人向け」となると、言葉や文化の違いが関係ないSF物やアクション物が多くなるのは仕方がないのかもしれませんが、もはやここまでCGが発達してしまうと、現実にはありえないシーンでも、なんか普通に見えてしまって。
なのでハリウッド系は避けていたんですよね、果たして今回はどうか?

まず全体的な作りとして、やはり目新しさは感じられませんでした。というか、これはオマージュなのか、随所にかつてのSF名作を思わせるシーンが登場します(「未知との遭遇」「スターウォーズ」etc)
ストーリーも奇をてらったところはありませんが、多少強引に展開させてるかな。
この映画の売りは70年代のアメリカン・ポップとSFのコラボでもあるので、主人公が窮地に突然踊りだしたり(もちろんBGMは70年代POP)、かつての青春ロック・ミュージカル映画(「グリース」とか)みたいだなと思える人はいいけど(多分これもオマージュでしょう)、そうじゃないと「何これ?」かもね。

Ani的にはこの辺の強引な「バカバカしさ」は大歓迎なので、この映画を選んだチョイスは「はずれ」ではありませんでした。
ただ残念だったのは、バックに流れる70年代のアメリカン・ポップ、半分くらい「知らない曲」でした。

ちょっと長くなりますが、映画で使われた各曲(この映画のサウンドトラック(これも全米で売れたらしい!)より)を簡単に紹介しますと、

1. 「Hooked on a Feeling」 ブルー・スウェード 1974年
→ 「うがちゃか、うがちゃか」で始まるこの曲は知っていました。

2. 「Go All the Way」 ラズベリーズ 1972年 
→ エリック・カルメンが在籍したバンドですが、曲は知りませんでした。

3. 「Spirit in the Sky」 ノーマン・グリーンバウム 1969年
→ 全然知らない曲

4. 「Moonage Daydream」 デヴィッド・ボウイ 1972年
→ これは知ってる! ボウイ5枚目のアルバムより

5. 「Fooled Around and Fell in Love」 エルヴィン・ビショップ 1976年
→ エルヴィン・ビショップの名前だけは知っていましたが、曲は一曲も知りません

6. 「I'm Not in Love」 10cc 1975年
→ いわずと知れた10㏄の名曲にして最大のヒット曲。ともかくいろんなところで使われているので、誰もが聞いたことがあるはず。ちなみにバンド名「10cc」は、何の意味でしょう?(答えは最後に!)

7. 「I Want You Back」 ジャクソン5  1969年
→ これも超メジャー曲なので、当然知っています。MXテレビ「5時に夢中!」のオープニング曲

8. 「Come and Get Your Love」 レッドボーン 1974年 
→ 聞いたことあるな 程度です。ネイティブ・アメリカンのバンドなんだって!?

9. 「Cherry Bomb」 ザ・ランナウェイズ  1977年

→ Ani的にはこれが一番受けた。シーンともマッチしていて、思わず笑ってしまった(ただしAniだけ)

10. 「Escape (The Piña Colada Song)」 ルパート・ホルムズ 1979年
→ この曲は結構ヒットしたから、聞けば知ってる人は多いかと。でも曲名とか全然記憶にありませんでした。

11. 「O-o-h Child」 ファイヴ・ステアステップス 1970年
→ 完璧に知らない曲

12. 「Ain't No Mountain High Enough」 マーヴィン・ゲイ & タミー・テレル 1967年
→ 聞いたことあるかな? マーヴィン・ゲイの曲だなというのは、声でわかりました。

このブログにいくと、全曲が聴けます。
http://www.kotaku.jp/2014/07/guardians-of-the-galaxy-soundtrack.html

この映画が全米でヒットしたのは、おそらく米国の5,60代の圧倒的支持があったからでないかと思います。
まさに彼らの青春時代のヒット曲のオンパレード。
だからSF的に目新しくなくても、ひねりのないありがちなストーリー展開でも、そんなことはどうでもいいんです!
「懐かしい~」これで充分!

また10代初めからそこそこ洋楽に親しんでいたAniでも知らない曲が多かったのは、それらの曲が当時全米でのみヒットした曲だから。

んー、残念、映画の狙いはすごく同感するのですが、日本人には厳しい映画でした。

PS: 10cc = 1回の「射精量」
(このバンド名のエピソードは有名。Aniの創作ではありません。念のため)
2014/10/19 18:45 映画・テレビ TB(0) CM(0)
7月に「大人の修学旅行」と称し、旧友との再会&観光で福岡市を訪れましたが、その時に乗った2階建てオープントップバスのガイドさんが、こんなことを言っていました。

「一般的に、福岡の麺類といえば「博多ラーメン」が有名ですが、実は「うどん」の方が昔から福岡市民に愛されており、福岡には老舗の名店ほか多くのうどん店があります。また「うどん」だけでなく「そば」も、最初に日本に伝来した地は福岡だと言われています!」

へー、そうなんだ。

いや、うどんについては、福岡出身のタモリ氏や武田鉄矢氏が「コシのない博多のうどん」について語っていたのを何度かTVで見たので知っていましたよ。

ただ、「うどん」と「そば」という日本の代表的な「麺類」が、共に福岡が伝来の地というのは初耳だったので、ちょっと興味を引かれたのですが、ちょうど景色に見とれてその「由来」を聞き逃してしまいました。

なので、ちょっと「ググって」(正確にはウィキって)みました。

諸説あるそうですが、日本に「麺」をもたらしたのは聖一国師(圓爾)というお坊さんで、13世紀に中国の宋へ留学、現在の浙江省杭州で仏教を学び、仏の教えと共に多くの中国文化を身につけて博多に帰国しました。その後博多で承天寺というお寺を開き、そこで2年間の布教活動を行ったのですが、その際に振舞われた麺や饅頭が、日本における「麺類」の起源だといわれているそうです。

なるほど、中国大陸の場合、北京ほか北部は小麦、広東省ほか南部は米が昔から多く栽培されました。だから彼の学んだ浙江省杭州は北東部なので恐らく「小麦文化圏」。彼が日本に伝えたのは小麦を使った「うどん」や「饅頭」(日本人は「まんじゅう」と読みますが、中国では「マントウ」。具が入っていない「皮」だけを蒸したもので、今でも中華圏では「ご飯」がわりに食されています。Ani類推するに、最初に伝わったのはこっちだったはず)だったと思われます。

では「そば」はどうなのか。
こちらの方は調べてみましたが、どうもちょっと怪しい!

植物の「そば」自体は元々日本にあり、古い文献によれば、平安時代あたりから日本各地で食されていたようです。ただしその調理方法は「そばがき」(そば粉をお湯でといただけ)でした。

「小麦」のほうは中国伝来、でもやはり、最初は「麺」として食されてはいなかったようです。
13世紀に博多に伝わったのは、小麦を「粉」にし、それを麺にする「技法」というのが正確なようです。

先に登場した聖一国師(圓爾)の建てた承天寺というお寺には「饂飩蕎麦発祥之地」(うどんそばはっしょうのち)という石碑がたっているそうですが、「うどん」はともかく、「そば」は怪しいな!


さて、それでは「うどん」

博多は古くから「商人の街」だったので、早く食べられるうどんが好まれました。博多うどんが柔らかいのは、早く提供するために麺を「茹で置き」したためとも、また九州地区で取れる小麦が品種的に「コシ」が出ないものだったとも言われています。

明治時代に入ると多くのうどん店が博多に登場しますが、中でももっとも老舗とされているのが博多区にある明治15年(1882年)創業の「かろのうろん」(「角のうどん」の意)です。

場所は中洲川端です。

また九州北部を中心に、「ウエスト」「牧のうどん」「資さんうどん」といった福岡式のうどんを提供するチェーン店も存在します。関東で似たイメージで言えば「山田うどん」ってところでしょうか(ただし内容的には定食屋というより、居酒屋っぽいかな)

もちろん7月の修学旅行(?)の際には、しっかり訪問してきました。
uesuto

「丸亀製麺所」をはじめとする讃岐うどんチェーンが最近はブームですが、あの麺のコシの強さに比べると、博多の麺は「レロレロ」です。
決して「煮すぎ」とか「のびている」わけではありません。
表面はつるっとして、全体的に「軽い」感じかな。

そうか、この「麺」に対する福岡人のアプローチは、ラーメンにも共通することに気がつきました。ラーメンの「細麺」も軽くツルッといけちゃいますね!
昔から「せっかち」な人が多かったのだろうか?

この「ウエスト」、九州だけかと思いきや、関東にも進出してました!
でも都心部でアクセスの便利なところではなく、何故か千葉県が多い。
で、うちから一番近い鎌ヶ谷店に行ってきました!
kamagaya west

博多のお店のメニューとほぼ同じかな、ただしむこうに有ってこっちにないものは(たとえば「トンビ(豚のしっぽ)」)、あるようです。

「ごぼうの天ぷら=ごぼ天」

ごぼうは短くざっくりカットされており、歯ごたえがあります。これをトッピングした「ごぼ天うどん」が、博多では一番人気と博多のお店に書いてありました。

「丸天うどん」

「ごぼ天」と並び、うどんトッピングの定番。
「天」ですが天ぷらではなくいわゆる「さつま揚げ」
(四国・九州では「さつま揚げ」のことを「天ぷら」といいます)

「肉うどん」

肉うどんといえば「大阪」かと思いきや、福岡もそうなんですね、甘辛味付け!
そばに「肉」は合わないけれど、うどんには合う!

それからうどんではないですが、合わせて食するとサイコーなのが「高菜おにぎり」

塩加減がGOOD! Aniはかなり好きです。
これ、こっちの立ち食いそばとかで、置いてくれないかな。

ということで、この「ウエスト」、コスパもかなりいいので、リーズナブルに博多気分を味わいたいのなら、お勧めです。
東武アーバンパークライン(今は「野田線」をこう呼ぶのですよ!)「鎌ケ谷駅」すぐそば。

ちょっと歩くと、日本ハムファイターズの2軍球場があります。

「ハンカチ王子」の頃は、すごかったらしいですが...

他には「鎌ヶ谷大仏」?

「日本一小さい大仏 」 なんだって (>_<)

いろいろ絡めたとしても、ビミョーなロケーションですが。
2014/10/13 06:25 レシピ・グルメ TB(0) CM(1)
先週からニュースで度々取り上げられているので、すでに多くの皆さんご存知かと思いますが、いま香港で起こっている出来事。

香港政府のトップである行政長官を選出する選挙が2017年に実施されることになりましたが、立候補者を選定する委員会が中国政府寄りに構成されることが、中国本土の全人代で決定されたため、事実上「民主派」と呼ばれる、香港での民主主義を推し進めようとする候補者は立候補できなくなりました。
これに反発した学生を中心とした若者たちが、香港の政の中心地である金鐘地区を占拠している件です。

2003年から3年間彼の地に暮らしたAniとしては、当然無関心ではいられません。
そこで、今日はAniが当時感じた「香港人」への印象を踏まえ、今回の騒動について考えてみたいと思います。

1997年まで英国の植民地だった香港では、そこに暮らすすべての香港人に政治参加が認められておらず(政治のすべては英国本国の決定によっていた)、代わりに経済的な制約はほとんど課されていなかったため、当時の香港人たちは政治に無関心で、ひたすら経済的な利益を得ることに奔走していました。

香港人にとって一番大事だったのは「お金」

なぜなら現在香港に住む「香港人」は、そのほとんどが大陸から「逃れてきた」人たちだから。
もともと香港は19世紀中旬に英国が植民地にするまでは、辺境の小さな漁村でした。
では何故アヘン戦争に勝利した英国は当時の海外貿易拠点であった広州エリアではなく、あえて辺境の香港を選んだのか?
それは香港島と九龍半島の間に位置するビクトリア湾が、当時大型化していた船舶を係留するのに適していたから。要するに湾が「深かった」のです。
(中国南部の広州は15世紀ころから中国における「海の窓口」で、隣接するマカオも16世紀頃からヨーロッパからの寄港地として栄えました。しかし珠江デルタと言われる、「珠江」という川の扇状地である同地域は海が浅く、当時大型化していた軍艦などの停泊には不向きでした。よって英国は、湾が深く大型船の停泊が容易で、かつ湾内が入り組んでおり、敵からの攻撃が受けにくい「天然の要塞」だった香港を選んだのでした)

東南アジアの「ハブ港」となった香港は、大陸から移住してきた多くの「中国人」によって発展していきました。

植民地化された当初は港湾関係の労働力として、第2次大戦後は中国の共産化から逃れるための難民として、また中国で文化大革命の嵐が吹き荒れた70年代は頃はその迫害から逃れるため、主に広東省を中心に多くの中国人が香港に逃れてきました。

また戦前に財を築いた上海の富裕層も、共産主義勢力による迫害を逃れるため、戦後多くが香港へ移住しました。
かように「香港」という街は、大陸の共産主義化あるいは迫害から逃れるために渡ってきた「中国人」により形成された街でした。
よって「国家」というものをもともと信頼していない彼らが頼りとするものが「お金」になったとしても、それは全然不思議なことじゃありません。「国」がなかったユダヤ人もそうですね。

Aniが3年間に付き合ってきた「香港人」、その「感性」は日本人と変わりません。
いわゆる「西側先進国」の市民感覚が共有できる人たちです。
公共の交通機関が「普通」に機能し、電化製品が「普通」に手に入り、警察・消防、医療機関が「普通」に利用できる「環境」があること。

なぜこんなことを言うかといえば、他のアジアの人々での場合では、この「前提」を踏まえた会話が成り立たないことが多いからです。
まともに機能しない交通機関、手に入らない家電製品、信頼できない公務員etc。中国本土やタイ、フィリピンの人たちとのあいだでは、往々にして我々日本人が「当たり前」だと思っている感覚が通じないことがありました。そうなると、会話が時に先に進まなくなったりしました。

その点、香港やシンガポール、韓国の人たちとの間では、その違和感はありません。日本と同じく「西側先進国」でしたから。なので先ほど揚げた「前提」はクリアされているので、彼らとはより「突っ込んだ」会話ができたように思います。

かように、彼ら「香港人」は、市民感覚的な部分で多分に「日本人」と同じ「感覚」持っていると思っているAniにすれば、感覚的に「合わない」中国本土の人たちとの付き合いは、やっぱり難しいんだろうなということが想像できます。

なにより日本人のAniは、中国本土の人々との付き合いが本当にシンドかったので、仮に言葉が通じたとしても(香港人は普通語(中国本土で使われている「中国語」の名称。広い大陸は「方言」だらけなので、政府は北京語をもとにした「普通語」を、「共通語」として普及を図っています。香港人いわく、文法は同じなので、発音さえできれば普通語を話すことは、それほど難しくはないらしい。とういか、植民地時代の英語を始め、彼らはほとんどが「バイリンガル」なので、普通語を話すことくらいは簡単らしい)、香港人にとって彼らとの付き合いもまた「シンドかった」と想像できます。

(香港で勤務していた会社は上海にも拠点があったので、「香港人」と「中国人」の仕事上の交流があったのですが、「日本人」のAniに対してそれぞれの「悪口」を言う彼らが、面と向って対面するとお互いにものすごく気を使っている(「香港人」は「中国人」を見下した態度が出ないように、「中国人」は「香港人」に馬鹿にされないように)のが、Aniには非常に興味深く、「大変だな」と感じました)

97年の返還時は、「自由」を求めて香港にやってきた人々の多くが、皮肉にも新たな「自由」を求めてカナダほかの英連邦国に移住しました。
しかし自らが後にした香港は、中国本土との経済活動の活況により、その後大きく発展していきます。

Aniが駐在員として赴任した2003年前後は、海外に移住した香港人たちが、「香港は、大丈夫なんじゃないか」と再び香港に戻り始めた時期でした。その関係で、あのSARS騒動の際、香港についで死者が出たのがカナダのトロントだったわけです。

今でも香港経済は、中国本土に大きく依存しています。
特に観光業はその依存度が高く、今回のデモで親中派(本土政府を支持する人たち。簡単にいえば、中国本土企業他とのつながりにより経済的恩恵を受けている人たち。香港への移住方法の一つとして、1000万香港ドル以上の香港政府が指定する金融商品に投資すれば「投資移民ビザ」が発給されて香港市民になれます。よって香港にはこのビザで香港市民になった本土中国人が、家族を含めてたくさんいます。本土で起業家で成功した人、かと思えば、なぜか「党」幹部が多い。その子息たるや。。。推して知るべし!)

で、親中派はそんな本土から来た中国人ばかりかといえば、いわゆる「低所得者」層にも多いです。
香港は「階級社会」です。アッパー(富裕層)、ミドル(中間層)、ロー(低所得者層)の区分が明確です。
まず税制の優遇があって、「金持ち」はずっと「金持ち」です。かたや「低所得者層」、こちらは行政による手厚い保護もあって、例えば低所得者向けの住宅供給や、格安での医療機関利用、消費も質はともかくとして、街市と呼ばれるローカル市場に行けば、かなり安く済ませられ、低所得だからといって必ずしも暮らしづらいとは言えません。
なので中間に位置する一般的なホワイトカラー層は、上からのおこぼれを享受しつつ、下には落ちたくないので上がってくる下級層は叩きます。

で、低所得者層の多くが従事している仕事は観光業を中心としたサービス業。よって先ほど「親中派」としましたが、彼らにしてみれば、これ以上騒動が長引くと観光に影響が出て、自分たちの収入にも影響が出ます。
もともと低所得者層は政治的関心が薄いので、今回の騒動に批判的なのはよくわかります。
(しかし、3日にモンコック(=香港内でも一番ディープなエリア、低所得者層が多く住む)で起きた親中派による学生への暴行は、親中派によって雇われた「黒社会」(=香港語で「暴力団」の意味)の犯行であることが判明しました。)
実態はますます混迷の様相ですね。

今回立ち上がったのは香港の学生たち。
香港で大学生といえば、かなりのエリートです。
先ほどの中間層以上の子弟じゃないと、進学は無理です。
ほぼ、植民地時代を知らない世代。親の世代のように、本土政府のイデオロギーは到底受け入れられないが、かと言って、経済的な依存度を考えればあからさまに異を唱えられないジレンマがない分、自分たちに課せられるであろう「自由」への制限に対して素直に抵抗できるのかもしれません。

事実彼らは、2012年に香港政府が本土の意向を受け推進しようとした「中国愛国教育」に反対して授業ボイコットを行い、公立学校に対する「義務化」を撤回させた実績があります。
だからある意味「強気」なのと同時に、親世代も応援しているから、この騒動、出口が見えなくなっています。

「当たり前の民主主義」

日本では少なくとも初めから「権力」が介入している選挙制度を「民主主義」とは認めないでしょう。

ですから、今香港で起こっていることを「自分」の身に置き換えて想像してみたらどうでしょう。

到底受け入れられないのでは。
だって「権力者」の意向によって、市民生活はどうにでもなるってことですから。

香港の人達は、「当たり前の民主主義」を求めているだけなのです。

その「当たり前」が理解できない人たちに、どうやって理解させるか。

難しい問題です。
KASAKAKUMEI free


2014/10/05 11:52 時事 TB(0) CM(0)
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